何かを教えるときに子どもに対してどのように伝えればいいのか?
子を持つ親や、子どもにスポーツを指導しているコーチなどは誰もが抱く悩みでしょう。
初めは子どもに優しく教えているつもりでも、だんだんと語気が強くなり教えているというよりも怒ってしまっているという状態になってしまうこともあるのではないでしょうか。
日本では、「褒めて伸ばす」というよりも「しかりつける指導」が常習化しており、だんだんとその傾向は弱まっては来ていますがまだまだ根強く残っているように思います。
そんな日本の指導方法に警鐘を鳴らすと共に未来への提言を示している本があります。
林壮一さん著書の『褒めて伸ばすコーチング』という書籍。
この書籍は、日本と海外の指導の違いや、これからの指導について書いたものです。
今回の記事は、子を持つ親や子供たちを指導するコーチなどに対し、少しでも力になれればと思います。
・日本とアメリカの指導
・行き過ぎた指導は子どもの未来を奪う
・大人が子どもに伝えるべきことは
『ほめて伸ばすコーチング』
この『ほめて伸ばすコーチング』は、アメリカや日本で教育を学び、アメリカの公立高校で教壇に立った経験もあり、現在はノンフィクションライターとして活躍している林壮一さんが書かれた書籍です。
林さんは、お子さんがアメリカと日本の学校に通い、そこでのスポーツクラブの違いを肌で感じるとともに、日本での指導に違和感を感じたと言います。
その実体験をもとに書かれているので、内容はとてもリアリティがあり、何かしらのチームに属したことがある人なら、非常にイメージしやすい内容です。
ほめることを忘れない
スポーツ先進国のアメリカでは、シーズンに合わせて幼少期から様々なスポーツを経験することが珍しくないと言います。
そこではコーチは子ども達へ自らやって見せたり、できなくても明るく励まし「good job!」[wonderful]と褒めることを忘れないと言います。
また、コーチが率先してお手本を見せて、上手くできない子どもにはそばについてあげて始動するようなことが普通に行われており、長時間ダラダラと長くすることもほとんどありません。
スポーツは楽しいからこそ意味がある
スポーツは勝ち負けだけを追い求めるものじゃありません。
もちろん、勝った方が楽しいし負けたら悔しいし嫌になることもあるでしょう。
なぜスポーツはなぜ老若男女が長く続けられるのか?
それはスポーツは楽しいものだからです。
私たちは、何かスポーツを始める際に初めこそ楽しさだけを教えられますが、ある程度経験を積んでくると、逆に結果だけを求められて本来の楽しさを忘れてしまいます。
もちろん結果も大切だし、勝負の世界でこそ得られるものもあるでしょう。
しかし、日本ではそれを追い求めすぎるがあまり暴力的指導や人格を否定するような発言が蔓延り続けて、軍隊的思考を押し付けられて育った人が多いです。
そんな環境で育った若者は、自身が選んだスポーツを心から愛して、日々の練習に充実感を得られるのでしょうか。
スポーツを通して人間性を高める
この『ほめて伸ばすコーチング』では名コーチが登場します。
そのコーチたちは、スポーツを通して人間的な成長が何よりも大切であることを説く、スポーツの本当の楽しさを伝え続ける、などなど。
決して勝利至上主義でなく、人間が成長するための本質を説き続けるエピソードがいくつか紹介されています。
日本でも、このような考え方はだんだんと広まってきており、今後もそれは加速していくでしょう。
しかし、まだまだ昔ながらの考え方が拭いきれていないのも事実です。
本書はそのような日本の指導方法に対して警鐘を鳴らすとともに、日本が変わるべき姿を示してくれている内容になっています。
何かのスポーツの指導者だけでなく、絶賛子育て中の方も読んでほしい内容になっています。
日本のスポーツ界
鉄拳制裁や罰走などなど、、
かなり減ったとは思いますが、日本には昔ながらの指導方法が令和になった今でもちょこちょこ問題となっています。
指導者自身がそのような指導しかされておらず、たまたまそれで結果が出てしまったために、自分が指導者になっても同じことを繰り返してしまう。
そのような指導者の下で指導を受けて、命を絶ってしまうなどの最悪の出来事も日本では起こりました。
また、夏の高校野球など学生スポーツ大会は大人の利権が付きまといます。
いったい学生スポーツは誰の為に行われているのでしょうか。
大阪市立桜宮高校バスケ部事件
2012年12月23日。
大阪市立桜ノ宮高校に所属する男子バスケ部のキャプテンである男子生徒(当時17歳)が自ら命を絶つという痛ましい事件が起こりました。
これは、男子生徒が所属する桜ノ宮高校男子バスケ部の指導者による体罰が原因です。
指導者は選手たちに常習的に体罰を行っており、自殺した男子生徒を練習試合中にコート内を追いかけまわり、顔面を20発も殴り続けたと言います。
口から出血していようが殴ることを続けていたということから、それは指導の域を超えた犯罪に他ならないでしょう。
この指導者は自分の行ったことについて
「指導のつもりだった、強くなってほしかった」
と述べており、男子生徒が亡くなった13日後には遺族に対して指導者復帰の許しを請う電話をかけているらしくとんでもなく自分のことしか考えていません。
この指導者はその後、傷害と暴行で起訴されて有罪判決を受けています。
高校野球は誰のためなのか
今までも多くの感動を与えてくれている甲子園。
日本の高校野球、特に甲子園大会は国民的行事と言っていいほど毎年大きな盛り上がりをみせます。
事実、甲子園には見ている人を感動させて生きる活力を与えてくれる力もあります。
しかし、この甲子園は超過密スケジュールで行われており、高校球児たちは大きな身体的負担を強いられています。
昨今は新型コロナウイルスの影響により、多くのスポーツの大会が中止に追いやられました。高校野球も中止になりましたが、その決断が遅くなった理由には大人の損得勘定がありました。
甲子園を中止にすることで672億円の経済損失があったと言います
「汗と涙と感動」をテーマに続いている高校野球は間違いなく、人々を感動させます。
しかし、そのために高校球児たちは身体の酷使を強いられ、時には体罰や精神的苦痛も強いられているわけです。
将来的に活躍できる可能性のある選手が、高校野球で身体を酷使して選手生命を絶たれてしまう。
ボロボロになりながらも戦い続ける
このことに対して美談としてのみ語ってはいけません。
最近では球数制限なども導入され改革が行われていますが、もっと議論が行われて本当の意味で子どもたちが主役の大会になってもらえればと思います。
日本に根付いている指導
私自身、平成の時代にがっつりと学生スポーツに打ち込みましたが、小学生の頃からコーチや監督は「恐い存在」でした。
失敗したら怒られる
真剣さを見せないといけない
私が所属していたチームはそこまで厳しくなかったかもしれませんが、それでも指導者の顔色を伺っていた選手がほとんどでした。
この『ほめて伸ばすコーチング』にも書いてありますが、日本のコーチは問題だらけだと書いています。
ミスしたことに対して罰を与える、子どもが練習している最中にタバコをふかしている、体罰、人格を否定するような発言、、、
もちろん、これらのことはかなり減ってきていますが、それでもまだまだなくなってはいません。
それが無くならない理由の一つには、指導者自身が「ある程度の厳しさは必要である」という思いがあり、その厳しさをきつく当たることと勘違いしているからだと思います。
アメリカのスポーツ界
スポーツ先進国であるアメリカ。
なぜ、アメリカにはスポーツに限らず世界を代表する企業や個人が現れ続けるのでしょうか。
もちろんアメリカ以外からも多くの偉人、有名人が誕生しているがアメリカ人のその数は多いです。
ベースボール、バスケットボール、アメリカンフットボールなどアメリカを頂点とするスポーツやそこから世界に影響を与える人材が出ており、現在でもアメリカ人選手を目標とする日本人アスリートも多いことだと思います。
本書でもアメリカを題材にスポーツの在り方について述べられています。
全国大会の無いアメリカの高校スポーツ
日本の高校スポーツは甲子園をはじめ、とても大盛り上がりするスポーツイベントです。
しかし、そこで結果を求めすぎるがあまりそのしわ寄せは主役である選手たちに来ています。
高校野球の全国大会である「甲子園大会」。
これは上でも書きましたが、過密なスケジュールにより選手たちはとても大きな身体・精神の負担を強いられています。
ほかにも、厳しい指導により勝利を求められ、スポーツの本質である「楽しむこと」が欠如しているように感じます。
アメリカの高校スポーツには全国大会は少ないと言います。
もちろん、学生スポーツでも勝利を求めていますが、アメリカの学生スポーツにはレギュラー陣だけが試合に出るようなシステムでなく、カテゴリー別に大会が組まれどの選手にも出場の機会が多いと言います。
日本の高校スポーツは確かに美しいかもしれません。
しかし、その裏には想像を絶するような苦しみや選手たちの涙があるはずです。
全てをアメリカの高校スポーツのようにする必要はありませんが、少しずつでも議論を加速させ、改革が必要なだと感じます。
また、アメリカではシーズンで行うスポーツも変わることは珍しくなく、様々なスポーツをすることで養われる感性もあるでしょう。
上下関係も厳しくなく、学業もしっかりと重んじる姿勢もあります。
日本とアメリカの一番の違いは合理性でしょう。
非合理をよしとする日本、またそのことを認識していながらも改革が進まないのは非常にまずいでしょう。
練習は量より質
アメリカの練習は日本のように長時間行われないことはよく聞く話です。
元メジャーリーガーのイチローさんは、日本の練習量はアメリカ人が見たら衝撃を受けるだろうと言っていました。
日本は「根性」を軸にメンタルが成り立っているように思いますが、海外のスポーツはもっと具体的にメンタルと向き合っています。
自分何が目的なのか。
身体が資本、という考えがしっかりと構築されており、ケガをしないためにはどのようなメンタルとケアが必要なのか?
スポーツは楽しむものであり、苦しむものではない。勝利至上主義の日本とは、考え方から違うように思います。
ジョン・ウッデンが伝えるスポーツを通して何を学ぶか
ジョン・ウッデンとは、UCLA(アメリカ カルフォルニア大学ロサンゼルス校)のバスケットボールのコーチであり、7連覇を含めた10度の全米制覇を達成しか経歴があります。
そのことから、「20世紀最高の指導者」とも言われており、その手腕はスポーツ界だけでなく様々な分野で影響を与え続けています。
こんなにもタイトルを獲得した監督ですが、ジョン・ウッデンが最も大切にしていたことはスキルの向上よりも人格形成でした。
ウッデンは教え子たちに対して、バスケットボールはもちろん大切だが人生の1ページに過ぎないと伝えて勉強することの重要さを伝えました。
また、常に自分と戦うことの重要性を説き、練習して自らを高めることを信条としています。
もちろん、勝負の世界にいるので、勝ち負けは存在しますが、ウッデンは勝つための練習ではなく自分自身に勝つことを一番に教えています。練習で準備をやり切ったのならば、あとは試合ではその力を出し切るだけ。
そこには、相手を負かしてやろうという気持ちよりも、ここに至るまでに自分たちは熱心に自分自身を律することが出来たという達成感を持たせたと言います。
その証拠に、ウッデンは試合中にはほとんど指示を出さずにベンチで座り選手たちを信じて見守っていたと言います。
人格形成を重んじるウッデンのチームですが、何度も優勝するなど結果を出しました。そのことに加えて、上の図で表してある「成功のピラミッド」を伝え続けて人間としても素晴らしい人材を輩出し続けました。
日本ではどこか自分の体力を追い込んで精神的に追い込むことに美しさや感動を感じるところがあるのではないでしょうか?
人間教育よりも勝利至上主義でボロボロになる姿や、厳しい練習にこそスポーツの価値を置いている人は多いと思います。
私自身もそうでした。
しかし、それは個人の将来に対する思慮が浅く現在のことしか考えていない指導とも言えるのではないでしょうか。
ウッデンのように、スポーツは人生の1ページであり、そこを通して人間的成長を何よりも大切にし続ければ、人々のスポーツに対する価値観も円熟してくるように思います。
まとめ
スポーツとは本来楽しいものであり、競技を通して体力やコミュニケーション能力を磨き。人格形成を行うものでもあります。
しかし、勝利至上主義が行き過ぎてきたあまり、まだ精神的にも幼い子供たちを恐怖で支配し、時には暴力を振るってきた歴史がありました。
最近では、その流れも少なくなってきていますがまだまだ残っているところでは残っているでしょう。
そのような環境で育った子どもは、将来どのような大人になるのでしょうか。
たまたま、結果が出て過去の厳しさを美談として語る人もいますが、それをいい話だと思って聞いてしまうマインドこそ日本人が改めなければならない部分だと思います。
スポーツを通して子どもたちの心身の健康を伸ばしていくためにも、指導する側である大人たちがもっともっと必死に勉強しなければならないと感じました。
『ほめて伸ばすコーチング』
とても良い本なので、興味を持たれた方は是非一度読んでみてください。